日本人は「絶対なる正義」を追い求める呪いに囚われているのかもしれない

日本人ながら、かなりどっぷりとフランスで暮らす方の話を、先日聞く機会があったのですが、それがとても興味深い内容でした。


炎上。
ニュースを見ていると、なんだかもう日本では「日常茶飯事」と言っても過言じゃないような、そんな現象になってしまった気がします。

自分はそれを、「ソーシャルメディア等が普及して、いつでも誰でも情報を拡散できるようになったから」という要因の結びつけをして終えていたのですが、なるほど。

そもそも、「そんな答えはおかしい、間違っている。分かり合えるはずだから、最後には答えが1つにならなければならない」といった思想があるからこそ、これほどまでに毎日のように燃え上がってしまうのだと。

フランスに行ったその方は、当初とても驚いたそうで。「誰とでも分かり合うなんで無理だからね。仕方ないね。違うやり方とか考え方する人も、そりゃ多かれ少なかれいるわね」。そんな空気が感じられたんだとか。


そして、今日こんなツイートを見ました。


気になって「justice」を英英辞書(New Oxford American Dictionary)で引いてみたら、そこには”the quality of being fair and reasonable”とありました。「状況に相応しく、一考に値するという性質」といったくらいでしょうか。

つまるところ、確かにjusticeは、日本語の「正義」ほどの絶対性を帯びていないんですね。

言語が文化や思想を作るのか、文化や思想が言語を作るのかは定かではないですが、ああ、やっぱり日本人は「絶対なる正義」を追い求める呪いに囚われているのかもしれない。そんなことを思いました。

よっしー
1995年大阪生まれ 音楽とインターネット育ち。 詳しくはこちら。