いざというときの勝敗を決めるのは、いつだって「本質的な準備をしたか」だと思う


このセンター試験の季節になると、毎年思い出すことがあります。

1つは、センター試験翌日のクラスの教室。問題形式の変更に惑わされ、絶望にも似た感情を漂わせる人たちと、その人たちを見て素直に喜ぶことはできない人たちが、共存していたあの空間。マンガで見るような混沌とした光景だったなあ。今でも鮮明に思い出せます。

もう1つは、「英語」については上手くいった自分と、失敗したAくんの話。


文化系の僕と、体育会系のAくんは、そこまで仲良くはありませんでした。いや、悪くもなかったのですが。それほど接点がなかった、という感じでしょうか。

しかし、受験生になって同じクラスになったときは、たまたま席が近くなりまして。英語は少しだけ僕の方が得意で、それについて彼は、体育会系らしいというか、負けん気あふれる調子で僕に言いました。

「勝負しようぜ」

正直、僕はあまり興味がなかったのですが、まあ負けても何かを失うわけではないし、好きにしてもらえれば良いかと、適当にOKと伝えました。

一応、進学校なので、3年生になると各教科の授業時間は、受験対策中心で展開されました。英語の授業では毎時間10分ほど使って、センター試験の過去問を少しずつ解いていきました。僕とAくんは、それで競うことになりました(僕が知らない間に)。

最初は僕が勝つことが多く、彼がたいそう悔しがっていたのを覚えています。しかし、彼が勝つことが徐々に増えてきて、センター試験直前には、「ほぼ同等か、彼が勝つことが多い」という結果になりました。

彼は、センター試験の過去問や類似問題集を、大量に解いていたのだそうです。


センター試験当日。この年は(今となってはもう具体的なことは覚えていないのですが)英語の出題形式が多少変わりました。とはいえ、どうしようもないので、僕は淡々と解くことにしました。

そして翌朝。冒頭で述べた、あの混沌とした教室です。到着して僕は、その光景に驚きながらも、自分の席に座ります。

すると、先に来ていたAくんが、悔しそうな表情で僕に言いました。

「英語、失敗したわ…。あんな変化球が来るなんて。」

すでに自己採点を終えていた彼は、点数も合わせて口にしました。それは確かに、ここ最近のAくんとは思えない点数でした。

もしかして自分も実は低いのではないか…そう思いながら、僕も自己採点へ。

結果は、(自分で言うのもなんですが)いつも通り良い点数でした。もちろんそれは、彼の点数より高いものです。

僕は、“センター試験対策”にあまりこだわらず、文法や読解、単語暗記など、普通に「英語」を勉強していました。


結局、僕はこのとき、「普遍的な勉強をしていたゆえに、問題形式が変わってもブレずに済んだのだ」と悟りました。

もし、過去とたいして変わらない出題がされていたら、きっとAくんの方が高い点数を取れたのでしょう。しかし、この年は問題形式が変わり、本質的に「英語」を理解しているかが、より問われる結果になった——。そう僕は解釈しました。

もちろん、彼が付け焼き刃の勉強をしていたなどと言うつもりはありません。実際、彼のほうがよくできていた教科もありましたし。

しかし、いざというときに慌てず勝ちにいけるかは、きっと「本質的な準備をしたか」に大きく左右されるのだろう——。 この季節になると、改めて自分のなかでそう再確認するのです。


よっしー
1995年大阪生まれ 音楽とインターネット育ち。サイボウズ マーケティング/製品プロモーション。 詳しくはこちら。