フジファブリック「桜の季節」は、”春”真っ最中の歌ではない ——”遠くの町に行く”のが、なぜ”桜の季節過ぎた”後なのか

今日、東京では桜が満開になったとのこと。僕もちょうどお花見の予定が入っていたので、楽しんできました。

志村正彦(Vo, G)が死没する前のフジファブリックの楽曲に「桜の季節」というものがあります。確か1stシングルにして、メジャーデビュー作品だったはず。

”桜”と曲名に入れば、多くの場合それは”春”真っ最中、今日の東京のような桜が満開に咲き誇る時期をテーマにしていることが多いように思います。

しかし、フジファブリックのこの曲の場合は、そんな中では例外と言えそうなんですよね。

桜の季節が終わった後ばかりを歌っている

こちらはサビの歌詞。

桜の季節過ぎたら
遠くの町に行くのかい?
桜のように舞い散って
しまうのならばやるせない

この他、曲中には”桜が枯れた頃”という一節も登場します。

”桜の季節過ぎたら” ”桜のように舞い散ってしまうのならば” ”桜が枯れた頃” …未来かつ仮定と思われる表現とは言え、春真っ最中を思わせる内容がメインテーマにはなっていないように見えますよね。

”遠くの町に行く”のは、「桜の季節」真っ只中ではない

一般に、春と言えば3月末〜5月中旬あたりを想定されることが多く、特に前半(3月中旬〜4月初頭)は別れの季節、後半(4月中旬〜5月中旬)は出会いの季節、といった形で考えられることが多いのではないでしょうか。

そう考えると、前述のサビにある”桜の季節過ぎたら 遠くの町に行くのかい?”という一節も、なんだか不思議な感じがしてきます。「桜の季節が過ぎる、すなわち春後半になってから、別れというのはやってくるのかな」と歌っているようにも聴こえてくるからです。先ほどの話とは食い違ってきますよね。

作詞者・志村正彦は一体どういう考えで、そんなことを歌ったのでしょう。


少し僕の話をさせてください。

実際にこの春、僕はこれまで生まれ育った大阪を離れ、遠くの町と言える東京に引っ越してきました。今生の別れではないと言え、これまでで最も多くの人と一度に別れたことは、さすがに感慨深いものがありました。

しかし、引っ越しして1週間が経ち、明日からは社会人としての新生活も始まります。「実際、どこまでも感傷ひきずるわけにはいかないよね」というのは、おそらく同じような境遇の方たちの多くが、そろそろ考え始めている思いではないでしょうか。


そしていずれは、例え悪い話ではないとは言え、どんどん新しい生活に馴染んでいく。

志村正彦が「遠くの町に行く」と歌ったのは、実はこの瞬間のことだったのではないか。本当に(物理的に)遠くの町に行く瞬間ではなく、以前の生活やそれに対する感傷から思いが離れていく、新しい生活に切り替えていく、そんな瞬間を喩えたものだったのではないか。

そう思うと、”桜の季節過ぎたら 遠くの町に行くのかい?”という、少し違和感を抱いてしまいそうな表現にも、納得ができます。心理的に”遠くの町に行く”のは、多くの場合、物理的に遠くの町に行った直後ではなく、それからしばらく経って”桜の季節が過ぎた”頃でしょうから。

「桜の季節」。前からよく聴いていた曲でしたが、どうも不思議で、腑に落ちない気持ちで聴いていました。

しかし今になってようやく、今回の実体験も通して、自分の中ではひとまず納得のいく解釈にたどり着くことができました。そんなことを今回は自分の中での整理も兼ねて、書いてみた次第です。

前述のように、明日から社会人生活。忙しない日々がしばらく続きそうですが、慣れていきつつも、ちゃんと思い出も大事に持っていきたいですね。同じような境遇の皆さま、お互い頑張りましょう。